j-hope「Arson」考察と感想


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公開されました!音楽も映像も傑作でホビペン有頂天です。

ラップに集中した音楽と、ホソクさんが何度も書いてきた「選択」に関する歌詞の極限、映像も曲の内容を忠実に視覚化したものになっていて、主張が直接的に届いてくる。

以下に、私個人の感想と考察のようなものを書いていきます。

 

歌詞は率直に書かれているので、

「もっと燃やす」「Burn」=音楽活動を続ける

「火を消す」「Done」=音楽活動をやめる

を念頭に置いておけば、読めばすぐ伝わる内容になっている。ARMYであれば、バンタン会食の後ならばより理解が深められる内容だ。

ホソクさん自身も何度も言っている「上昇を目指して自分で燃やしてきた情熱の炎は今や手がつけられないほど大きくなり、振り返ってみるとまるで自分への放火(Arson)のようだ」が主旨。

MVは、それを巧みに視覚化したものになっている。

 

MVで登場する衣装は一種類の三形態で、「MORE」にも出てきた白いジャンプスーツが徐々に燃えていくものになっている。

「MORE」の黒いジャンプスーツを着たホソクさんが箱の中の姿、そして「MORE」や今回の白いジャンプスーツを着たホソクさんは箱の外へ出た姿を表現しているようだ。

 

MVは一瞬の逆再生から始まる。

次のシーンでまだ燃えていない家の絵が映り、歌詞も過去の内容から歌い始まることから、時間を遡って過去の選択から歌い出すことへの案内ではないかと思う。

 

冒頭に映し出される立派な一戸建てが描かれた絵。

最初に「Let's burn」の一言を歌った瞬間に燃え始め、だんだん燃え広がっていく。

ホソクさんが歩を進めるたびに燃え上がる。

家そのものではなく「家が描かれた絵」を燃やしていることによって、家を持つような生活の「夢」を手放したという意味を作り出している。まさに絵に描いたような家庭、か。

ここでいう「夢」は、「j-hopeではないチョン・ホソクの人生」とも言えるだろうか。もう決して起こり得ないもうひとつの人生。最初に映し出されていることからも、時系列としては、人生の選択の岐路として原点のものだとわかる。ホソクさんの言う「この職業を選んだ瞬間」の分岐点だろう。

ただ『Jack In The Box』の文脈で見ると、「家」は「Safety Zone」の中で安全地帯になるかもしれない場所のうちのひとつとして挙げられているので、「家が描かれた絵」を燃やすことによって、この職業を選ばなかったら(≒j-hopeにならなかったら)あったかもしれない安全地帯を消したとも取れる。

いずれにしろ家そのものではなく「家が描かれた絵」を燃やしていることに意味がありそうだ。私はこれを夢、理想、あったかもしれないもの、と受け取った。

 

そしてホソクさんのMVに頻出する車。

これまでは肯定的な文脈で出てくることが多かった。

特に「Ego」のMVでは、自分自身を信じて突き進むための頼れるツールとして乗っていて、結びのシーンでも、キーとなるポジティブな言葉がたくさん書かれた夜の街でも最後まで付き添っている。

今回は、それが燃えている。

途中、そのうちの一台が爆発したときに少し振り向くような仕草を見せるが、結局立ち止まらず(立ち止まれず)進んでいく。

これはまるで、家の絵で示した「夢」だけでなく、今までBTSのj-hopeとして肯定的に描いてきた自分の相棒さえも放火によって燃えてしまい、見捨てるしかないと語っているようだ。

アルバム『Jack In The Box』の文脈で見ると、「What if...」で歌っているように家や車は「持っている」「成功」の具体例でもあるので、BTSで築いた成功の実績や周囲、世界が燃えている、ということの描写でもある。

 

よーく見るとわかるが、「MORE」で出てきた複数の部屋がある箱も燃えている。

この箱の中には黒いジャンプスーツのホソクさんもいるはずだ。部屋を含めてこれらはホソクさんの自我なので、自我すらも…ということか。

自分の放火で自分が燃えている。

 

そしてあとひとつ象徴的なのは、飛行機(ヘリコプター)。

「Airplane」で書かれているように、飛行機はホソクさんの「少年の頃の夢」のメタファーであり、今となっては「成功の証」。

今回は、それが今にも墜落しそうに地面すれすれを飛んでいる。

着陸・墜落の話は、ホソクさんだけでなくBTSにも通ずるものがある。有名な言葉だがユンギさんの「墜落は怖いが着陸なら怖くない」を彷彿させもする。

これは今にも墜落しそうだが、つまりそういうことだろう。このまま燃え続けたら墜落になってしまうかもしれない恐怖と絶望。

 

「uarmyhope」はホソクさんのIGのID。

「94」はホソクさんの出生年(1994年)。

ホソクさんが自分の作品に自身のアイデンティティの記号を散りばめるのは今までもよく見られたことだが、今回はそれも燃やしている。

 

この火の発火の原因はホソクさん自身であり、周囲だけでなく自分自身も燃えていて、今まさに、燃やし続けるのか消火するのか、選択の岐路に立っているという曲になっていて、それを様々な視覚的効果で表現し尽くしているMVだ。

自分の内側からの火で肌を焼いているホソクさん。

ズームされる心臓は灰になっているがまだ動いていた。が、最後についに倒れる。

 

「MORE」でも感じたことだが、『Jack In The Box』に見る攻撃性はどうやらホソクさんの自分自身への加害のようだ。

 

「Arson」MV最初の頃のホソクさんは、あまり感情を表情や動作で表現していない。

服も綺麗で、まだホソクさん自身は燃えていない(または燃えていることを自覚していない)。家の絵はとっくに消えてなくなっているが、振り向かない(振り向けない)ホソクさんは気付かない。歩き方にもまだ意思が見える。

が、だんだん不自然な歩き方になってきて、燃えながら横切る人を認識したり車の爆発に振り向きそうになる頃には、もうゾンビのような歩き方になっている。よたよた歩いていく不気味なホソクさんの動きは、弱りの表現だろうか。あるいは狂気か。操られているようマリオネットを模したようにも見える。

(燃えながら画面を横切る人々は、燃えている世界の描写か、共犯者の姿か)

 

黒煙後、服が燃えるのと同時に、苦痛と苦悩そのものの動きをする。

そして燃え切って心臓を肺にして、ついに倒れるホソクさんはもう、諦めのような切ない表情でかすかに首を振って目を閉じる。

 

カバーイラストにおもちゃのびっくり箱のデザインが描かれていた、今回のアルバムの布石でもあった「Blue Side(2021)」では、青く燃え尽きて死にたいという歌詞がある。

アルバムの「Safety Zone」考察でも触れたいが、炎は赤色よりも青色のほうが温度が高い。

 

フェイクワンテイクで撮影した映像を見ると、「Chicken Noodle Soup」を思い出すが、ダンスを封じた今回の「Arson」はまさに音楽と自我のみでぶつかっている。

 

“I’m not relying on my usual skill [of dancing],” he told Variety. “I can say that I picked up a different, new weapon that I want to use — a different skill that I want to show people."

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個人的には、グッズのオルゴールに「Done」の文字を見てから、「Burn」なのか「Done」なのか答えを出すのかと思って少し恐怖していたので、迷いを迷いのまま書いた曲だとわかってなるほどと思った。

エネルギッシュで叫ぶような魂のこもった曲だが、警報のような音がずっと鳴っているうえ、ホソクさんの様々な声や電話の切れた時のような音が入っていたり、変に声を反響させている部分もあったりして、不安を煽るような雰囲気もある。

それがまさにホソクさんの危機感や焦燥、不安感を表している。

 

この曲をアルバムの最後に持ってきた意味は、ここで終わらせるつもりは到底ないということか。これからもこの最大の難問の選択の分岐点に立ち続けるという意思表明か。

 

VLIVEでの「Arson」のオブジェがチェスだったことも意味深い。

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黒と白で選択の岐路に立った立場の対比を示したと。脱帽です。

「MORE」の情熱や野心も受け継ぎつつ、選択の岐路にいることを丁寧に描き上げている。

 

余談だが、ついにきたホソクさんのFワード歌詞が「f**k off(どけよ、邪魔だ、消えろ)」なのが、自分を主軸にして自分の道を前進することを肯定してきたホソクさんらしくて、素晴らしい場所に素晴らしいタイミングで持ってきてくれたなと。感涙。

MVでのここの部分の演技も熱い。

 

ここまで打ち明けても「過去の選択を後悔している」とは言わず、これからどうするかにだけ焦点を当てて歌っているのが、やはりまさにホソクさんらしく感激してしまう。

これまでもホソクさんの作品に何度も出てきた「選択」の言葉。私はずっと、自分の過去の選択を受け入れてこれからの自分の選択に責任を持とうとするホソクさんの生き方が大好きで尊敬していたので、「Arson」は非常に苦しいが大好きな曲です。

 

「そう。まさに俺が火をつけた」、なんて痺れる歌詞なんだ。

この曲を心から賞賛しながら一定苦しい思いがあるのは、私も燃えている世界の一部だからだろう。私の炎もホソクさんを焼いていることを知っていながら、まだ私は「Done」がこないようにと願ってしまう。