推し方の話

・生身の誰かを推すということって、ファンは推しをキャラクター化して解釈して理解した気になるわけだけど、こういう消費の仕方をしているオタクはここに自覚的にならないといけないよね
・「〇〇がこんなことするなんてがっかり」「今日の〇〇は20歳の頃みたいだった」「この曲のここが〇〇らしくて良い」オタクの感想の大半が自分(やファンダムの総意)の"解釈"に基づいたものだけど、これは時に危険になり得るし本人に伝える際には注意しなきゃいけない。生身の人間は多面的で、流動的で、演ずることもできるということを理解していないと、意図せず推しを傷付けたりしてしまう
・ARMYに属するようになってから特に感じるのがキャラ付け。ホビペンなのでホソクさんに目がいくけど、ファンアートでいつも笑顔で描かれるホソクさんとか、「闇ホソク」とか。他メンバーでもユンギさんの「爺」「ツンデレ」とかすごいわかりやすい。そう言ってしまうのは簡単だしおもしろいと思うけど、そうやって一言で表現してしまったらその面しか見えなくなってしまうよ。ユンギさんがちょっと人に優しくすれば砂糖とか、ちょっと顔を背ければツンデレとか、別に言ってるのは構わないけど、もっと生きている人間と接するように彼らを見たらさらにいいのにと思う

・これを全て理解して自覚したうえで自分自身をキャラクター付けしてるのがホソクさんだけど、ホソクさんの場合は非常にアーティスティックで、他人からつけられたり自分で作ったりしたキャラクターを言葉で否定したりするのではなく、「違った自分も見せたい」と作品で表現している。いま世にある"一般的なジェイホープ像"も正解のひとつだけどそれだけではないよ、という言い方をする。俺はそんな人間じゃねえとは言わないところが理性でできた落ち着いた大人で、自分の多面的なところを表現したいと思うところはとても自己表現に長けた芸術家で、そのために音楽を学んだりダンスを極め続けたり本や映像作品や他人から良いものを吸収する姿勢はとても、とても自分自身に対して献身的。ホソクさんの作品には、いつも「どんな自分自身も裏切らない」「どんなマイルールも大切にする」という意思があって、彼のそういうところに安心して惹かれて推している身としては、これからもホソクさんがそうあれるように応援をし続けていくのみ

・オタクは、推しを理解できることなんて絶対にないんだということを自覚していないといけない
・自分の解釈を信じて、推しを主体化して自分自身を見つめる推し方は間違いではない(特にバンタンはその推し方を許し、むしろ推奨してくれているよね)。でも推しがその解釈から外れた言動をしたときに、がっかりだとか残念だとか思って勝手に落ち込んだり、裏切られたと攻撃的になったりするのは絶対に違う。繰り返すが推しは生身の人間なのだから、いつだって多面的で流動的なんだ。そしてオタクが推しを理解できることなんて、絶対にないんだ。どんなに主体化しても、結局は最後まで他人なんだから。
・攻撃的な元オタクも、ツイッターのアウトタグもそう。自分の解釈を信じるあまり排他的になるのはまあわかるが、それで他者と戦おうとするのはあまりにも愚か
・全てを踏まえたうえでホソクさんを多方面から見ていきたい
・毎日違うホソクさんの表情を見て、その変化を愛しく思う心を忘れたくないよ