鳥羽和久さん「推しの文化論」を拝聴して

鳥羽和久さんによる講義「推しの文化論」。
非常におもしろく拝聴して、ホビペンなのでMa CityとB&Gの引用で手を叩いて喜んでしまった

以下は講義の個人的な備忘録です。

バンタンと資本主義について、解像度が上がった感がする。
個人的にひとつすごく目から鱗だった観点があったので、まずそれを書き留めたいんだけど

ジミンさんの「Filter」について。
私、ずっとこれって「あなたのために僕自身を変えてどんな姿にでもなるよ」という自己犠牲の極論だと解釈していたから、歌詞がそんなに好きじゃなかったんだけど、「あなたの"推し"としていくらでもJIMINを消費させてあげる、夢を見させてあげる」という解釈を知ることができたので、つまり「ジミンさん自身が"推し"として差し出す部分以外には触れさせないと歌っている」とも捉えられることが、目から鱗だった。
この解釈だったら大好きになれるし、私の"今のジミンさん"に感じているものにもぴったり当てはまる。「約束」以降のジミンさんというか。「Lie」で曲に殺されると言っていた頃ではないジミンさんというか。

ジミンさんはSNSとかでプライベートを全くと言っていいほど見せないよね。
例えばクサズはご友人の姿や部屋に置いてあるオブジェなんかもSNSでシェアするし、テテやジョンは今俺の中でホットだぜな曲とか今これおもろいぜなドラマを教えてくれたり、ジンくんは私生活で一緒に遊んだ側の人からの情報開示(本人了承済み)があったりする(多分ジンくんはそういう形を好んでいる)。
でもジミンさんの私生活って本当にずっと隠されている(ユンギさんもそうなのかな)。多分ジミンさんがSNS苦手というのも理由にありそうだけど、だとしてもだし、だから行った場所とか突然シェアされるとビックリしちゃうんだよね。笑
見せていないそこがまさにフィルターの裏側なわけだ。納得。

これは自己犠牲でもなんでもなく、「推し活」の構図や推しとしての姿のまやかしを見抜いた、賢明で挑発的で肝の据わった歌詞だった。という観点を得た。
好きなBTS曲ランキングの中で「Filter」が今ぐんぐん上がっていっているのを感じる。

以下は、受講時の自分のメモを見ながら落とし込み。

「生きることは傷付くこと。傷付くところには自ずと政治がある」
鳥羽さんは「BTSは"政治にすごくコミットしている"とはまた違うように思う」と仰っていたけど、これも腑に落ちるものがあった。
結局バンタンの皆さんは、政治が日常と地続きで切り離せないことを理解しているから、何も構えず社会に物申す歌詞もたくさん書いているわけだよね。その根にあるのは責任よりもっとこう、生きることそのものだと。

「Ma City」が引用されていた文脈で、韓国の地方の対立の歴史や光州事件についても少し触れられていて、「光州(全羅道って仰っていたかな?)は歴史が風化されていない」と仰っていた。きっと韓国国内で光州だけがそうというわけではないんだろう。そういう環境で育ったから、生々しく生きて負っている傷を抱えて歌詞で訴えることができる。大統領選挙で七割以上の投票率を出すひとつの要因だったりもするのかな。羨ましいな

浪費⇔消費の話。
「Spine Breaker」が消費、「Go Go」が浪費、というのはこれまで気付いていなかった視点だった。引用元も参照してみたい。

「Silver Spoon」あたりで、もうベプセではない彼らが自分達をベプセと自称することに慎重になっていることが示されていた。
でもユンギさんの言うように「始まりはベプセ」で、そもそもの防弾少年団はそういう始まりだったからこそ、感じていた抑圧からの防弾になるというコンセプトでデビューしたわけで(ざっくり言うと)。初心を忘れないから「いつの間にか海に来た」としても「本来ここは砂漠だということをよく知っている」(「Sea」)。

個人的には、彼らは自分達のベプセ精神を常に忘れないよう努力している気がしている。
彼らを見ていると、自分達の足元がいつでも波打ち際であるように故意に立っていると思えるときがある。狂わないために狂う、に似てる部分でもあるのかもしれないが、最近のアメリカでのジミンさんの発言のように「僕達はセレブじゃない」と言い聞かせているように見える。

資本主義的包摂の話でもそうだが、バンタンの持つアンビバレンスは見過ごしてはならないところだな。

あと、「B&G」のホソクさんのパートの”灰色のサイ”を、彼らの置かれたグレーゾーンに沿って解釈するやり方は今まで見なかった気がするので新鮮だった。私自身も完全に『BE』の文脈でパンデミックや彼らの持つ憂鬱・不安感での視点でしか解釈していなかった。

「全ての人に公平にしたいのにできない時がある」自覚
ナムの「自分にその意思がないのに他人を傷付けることがあるなんて」的な発言を思い出した。
この自覚。見過ごされているものに光を当てるためにも、灰色のサイにピントを合わせるためにも、まずはこの自覚がないとだめだもんなあ。

メンバー同士でケアし合い、ホモソの構図からほぼほぼ脱している、「誰も傷付かない優しい世界」を体現しているバンタンは、同時に「人と人とが理解し合おうとしたら傷付かざるを得ない」こともわかっている。
資本主義的構造を利用して成功し、もう海に溺れてもいいはずのバンタンは、資本主義の中でそれでも人間でいるために「痛みを持ってこい(「ON」)」「屈するな 負けるのは今日じゃない(「Not Today」)」と歌っている。
自分がバンタンだったら(?)こんなこと抱えるの苦しすぎるけど、彼らは実際に抱えている

自分達が競争をのし上がってきたことをわかっているから、ケアし合う方法を習得したのもあるけど、そこで自分達の打ち出した「誰も傷付かない優しい世界」すらも商品になって、結果資本主義の恩恵を受けまくってベプセと自称することが難しい立場になったこともわかっているのでは?
自分達のいるグレーゾーンを自覚し、理解しているのではないか、ということ。
?? 複雑でぐるぐるしているが、そういうことかな(「資本主義の恩恵を受けまくって」は私個人の文脈です)。

資本主義的包摂=なんでも商品化する世界。
よくアイドルは自分を商品にしているなんて言われるけど、この資本主義社会で人間性自体を商品にしてファンに消費させて利潤を生もうとする存在、それが彼らのような職業の人達なのだとしたら、バンタンは立派な成功例なんだよね。

資本主義社会では愛すらも商品になる。
これは私も常に感じている。
というか、彼らを消費するファン側からすると、お金でしか愛を示せない場面が山ほどある。

お金がないと快適に推し活ができないときもたくさんある。
なぜならアーミーというファンダムの中にも資本主義的格差があるから。富裕層は恵みを受けられ貧困層は損をする。チケットは、より良い通信環境や広い交友関係があれば希望のものをとれる。グッズは、決められた時間(それも平日の日中)にネットを開けるようなある程度の自由と余裕のある人が、決められた価格を支払えば手に入れられる。
つまり、富裕層は快適に推し活ができて、貧困層は思うように推しを追えない。
その運動に加担していていいのか?ということも、バンタン達は考えているかもしれない(知らんけど)。「ベプセ」であれだけ「ああ努力努力 これが公平だなんておかしいだろ」と言っているくらいだ。

(これを書いていてすごいなと思うのは、こうして「あの歌でああ言ってたな」と考えて引用して書いていると、次から次へと新たに思い出す歌詞が出てくること。今は上述の推し活の中での競争の話をしていて、次に「Pied Piper」を連想した。)

拝聴した直後にぐちゃぐちゃ書き殴ってしまったが、そんな感じの所感(?)でした。
資本主義の話は個人的にとても苦手な分野なので難し~いという感じなのですが、今回の講義ですっりきしたものもたくさんありました。
非常に有意義な時間でした。
鳥羽さん、ありがとうございました。